弾痕跡のある石塀

西原町小波津の集落、太平洋戦争の時に銃弾が撃ち込まれた石塀があり、現在も弾痕跡が残ったままの状態で使われています。

道路に面した側(案内文が掲示されている場所)はそれほどでもありませんが、入口側(家から見て南西側)の石塀にはかなり大きな銃痕が残っています。

弾痕跡のある石塀の案内板

この石塀は、1935年(昭和10年)に小波津家の新築に伴い、具志頭村(現在の八重瀬町)で切り出した港川石(砂岩)を馬車で運ばせ建造されました。石は厚さ20cm、縦30cm、幅150~250cmの大きさで7段も積まれましたが、現在は敷地の盛土等により2段は埋まっています。

沖縄戦が始まると、小波津家は日本軍の宿舎となり、中城湾の米艦隊から激しい砲弾を浴びました。西原村(現在の西原町)では熾烈な工房が繰り広げられ、住民の約47%が戦死しました。

戦後は遺骨、砲弾の破片、不発弾、米軍のキャンプ跡のガスコンロなどが散乱し、家は跡形もなく、砲弾が撃ち込まれた石塀だけが残っていました。壁に食い込んだ砲弾の破片は、やがて到来したスクラップブームで売りつくされましたが、砲弾の跡は今も生々しく残っており、沖縄戦の悲惨さを無言で語っています。

弾痕跡のある石塀の場所

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