国道329号線から南に向かい、小高い丘を登った頂上に内嶺グスク跡があります。頂上は平面に整備されており、内嶺グスク跡であることを示す石柱、案内看板があります。奥の方には、「兼城ノロ火の神」を祀った、現代のコンクリートブロックで作られた小屋があります。さらに奥は広場となっており、お年寄りたちがゲートボールなどができるスペースとなっています。
案内看板には次のように記載されえていました。
内嶺グスク跡
グスク跡は、南風原町のほぼ中央部に位置する標高約40mの丘陵上にあります。
伝承によると、14世紀末ごろに首里から来た内嶺按司がグスクを築いたといわれています。内嶺按司は鉄の農具をつくっては農民に与えて農業をすすめたようで、グスクの名称「ウチンミ」は「鍛冶」を意味するものであるとの見解もあります。
グスク周辺からは14~15世紀の土器や中国産陶磁器、近世・近代の陶磁器などおが採集できます。
現在、グスクの旧地形は大きく改変され、他地域で見られるようなグスクの石積みを確認することはできません。グスクを築いていた石は首里城改修の際に献納されたり、遺跡の北側を走る国道329号線の工事のために使用されたと伝えられています。グスク内の北西側には字兼城の拝所が合祀され、その地殻には字兼城の慰霊塔が建立されています。
また、内嶺グスクに関するものとして、ここから南側約500mには沖縄の年中行事であるカシチー柴差由来の「按司墓」があります。【参考文献】
・南風原町字兼城『兼城誌』2006(平成18)年
・南風原町史編集委員会『南風原町史第6巻民俗史料編 南風原シマの民俗』2003(平成15)年
内嶺城(うちんみぐすく)
内嶺城は内嶺一族が西暦1380年頃、ここ兼城発祥地にグスクを気付いたとされる。(神名)カニマンのイベ、(古揺)兼城クエナ(考古遺跡)グスク遺物が記されている。
兼城城の別名でもあり按司は尚巴志から鉄塊を受けて鍛冶を打ち(火事の打ちの嶺)鉄具を作って農を興したとされ、その功をたたえてクエナに「聞え兼城、豊む兼城……拾尋の御殿、国の人あつめて呑でん滅ならん……」とあるグスクと民の反映を寿いだと伝えられている。
現在、里主殿として大屋が管掌している。
平成16年10月吉日建立
内嶺城跡 兼城ノロ火の神 ゲートボールができそうな広場
すぐ近くには、兼城の石獅子もありますので、訪れてみてください。
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